あなたは普段お酒を飲みますか?

自粛生活以来、家飲みが増えた人
健康志向から禁酒をしている人
もともとお酒は飲まない人

それぞれにお酒とのかかわり方があると思います。

お酒に興味がある人もない人も、ここ徳島県に、

「創業200年以上!江戸時代から受け継がれている銘酒(酒蔵)がある」

なんて聞くと、少し気になりませんか?

溯ること1804年、ペリー来航よりももっと前、ナポレオンが皇帝即位した年と同じ年、徳島県鳴門市に「株式会社本家松浦酒造場」は創業されたのです。(す、すごすぎ・・・)

そして、その歴史ある酒蔵を現在引き継いでいるのが、10代目蔵元 松浦素子さん。

こんな歴史を話すと、”そんなすごい酒蔵の方とは住む世界が違う・・・”と感じてしまうかもしれませんが、、、もちろん最初は私も感じました(笑)

だって、さらに祖先を遡ると「水軍」、いわゆる海賊だったとかいうからーーーっっ!!!
”なんて夢のあるお家柄!”という驚きを隠すことができませんでした。

だけど松浦さん、想像とは裏腹に(どんなイメージ?)すっごく物腰が柔らかくて、温和な方なんです。
200年以上続く酒蔵の蔵元なのに、おごることなく、本来なら話しづらいお話も快く話してくださいました。

ご両親の離婚から酒蔵を離れていた松浦さんが、酒蔵に戻り蔵元をするようになったこと・・・
「江戸から令和」という歴史ある酒蔵を守る重圧・・・

ここでは、松浦さんがどのような想いで松浦酒造を守り、さらなる繁栄に尽力されているのか、ありのままの想いを聞かせていただきましたのでぜひご覧ください。

名前 松浦素子(まつうらもとこ)
生年月日 1964.7.18
活動内容 株式会社本家松浦酒造場 10代目蔵元
趣味 海や川、自然に触れること
好きな食べ物 甘い物(洋菓子・和菓子どちらも)
SNS

大人の顔色をみて過ごした学生時代

徳島県鳴門市ご出身の松浦さんは、6人兄妹の3番目に生まれました。

松浦さんのご両親は松浦さんが3歳のとき離婚し、お姉様とお兄様は父方の松浦酒造、幼かった松浦さんは母方のご実家で暮らすことになりました。

姉兄と離れ、祖父母と体の弱かったお母様と暮らしていた松浦さんは、自然と大人の顔色をみるようになったといいます。
ですが自然が大好きで、庭の木に登って果物を取って食べたり、虫を捕まえたり、穏やかな性格の中にも活発で好奇心溢れる女の子だったんだとか!

意外にも、幼い頃の松浦さんは、酒蔵とはまったくゆかりのない生活を送っていたといいます。

そんな松浦さんが小学3年生のとき。
親戚の叔父様の勧めで、地元の小学校から付属小学校へ転校することになりました。

地元の友だちと離れることは寂しかったけど、試験にも合格したため、転校を余儀なくされたのです。(今となっては良かったと思っているそうです)

また中学校では、漫画「エースをねらえ!」への憧れからテニスを始め、学校生活のほぼすべてをテニスに費やしました。
その努力が実を結び、県の大会では団体優勝するほどテニスの実力もあったんだとか!

ですが、高校では親戚の伯父様・伯母様の助言のもと、テニスをさせてはもらえませんでした。

実は伯父様・伯母様には子どもがおらず、いずれ松浦さんを養子にしたいという思いがあり、松浦さんの生活に干渉することもあったのです、、、

ですが松浦さんの心の中には、”私は私の思うように生きたい!周囲の人の思うようにはしたくない!”という思いが日に日に募っていきました。

そして高校生のある日、
「私は養子には行きません!」
とはっきり伝えたそうです。

それから伯父様と伯母様も歳を取り、最期はわだかまりなく見送ることができたといいます。

松浦さんの幼少期から学生時代は、周囲の大人の影響を大きく受けるものでした。
ですがこの経験があったからこそ、「古いしきたりに縛られるのではなく、自由にチャレンジする!」という思考に強く惹かれたのです。

ここからの松浦さんは、ご自身の人生を、ご自身の意志で切り開いていかれるのでした。

華の大学生&華のOL時代

”とりあえず外に出たい!自由にしたい!”という気持ちが強かった松浦さんは、大阪の大学へ進学し、初めて一人暮らしを経験します。

時代は高度経済成長期からバブル期に突入する過渡期。
絵に描いたような成長を成し遂げる社会の中、コンサート、映画、バー・・・行きたいところはすべて行き、だれにも干渉されない自由な生活を謳歌されたそうです。

そして就職先候補として選んだのが、当時一太郎ブーム全盛期の株式会社ジャストシステム。

松浦さん、就職試験当日、緑の服に緑の靴で面接に挑んだんだとかっ!!(バブル!笑)
面接で模範解答をするライバルをよそに、独自の自由スタイルを貫いた結果、見事採用されたそうです。

当時を振り返り、

松浦素子

20代の頃はトガッていたのよね~。
人と同じがイヤだったんです。

と、おっしゃっていました。

当時のジャストシステムは、とても自由な社風で、アグレッシブな組織だったそうです。
新入社員に新規事業や営業を任せてくれて、社員の自主性を尊重してくれるところが、松浦さんの性格とも合っていたんだとか!
私生活でも社内結婚をされ、華のOL時代を過ごされたそうです。

ですがその後、ご主人との離婚を機に、東京のベンチャー企業へ転職。
IT企業で役員秘書や営業をするも、前職のような自由さは通用せず、自分の至らなさを痛感すると共に、本当にやりたいことを自問自答する日々が続きました。

それと同時に、”父親ってどんな人なんだろう。実家って酒蔵だったよなぁ・・・”とふと自分のルーツが気に掛かり、お兄様と連絡を交わすようになったのです。

家族との再会、「株式会社本家松浦酒造場」入社

松浦さんはお兄様に今の状態を話し、「これからはお客様の求めることに+αできるようなサービス業がしたい」ということをお話しました。

するとお兄様からでた言葉は、「じゃあ1回うちに遊びにおいで」という予想だにしない返答だったのです。

その後、何度かお兄様と会ううちに、当時社長であったお兄様は親族面接の場を設けてくださり、本格的に松浦酒造へ入社することが決まりました。

その時のお父様は、とても優しく松浦さんを迎え入れてくれたそうです。
当時を振り返り、松浦さんもとても嬉しかったといいます。

ですが嬉しさの反面、松浦さんにはある問題が・・・

実は日本酒があまり好きではなかったんです(笑)

日本酒は翌朝まで残るし、飲んだ時の甘ったるい感じが好みではなく、随分飲んでいなかったんだとか!

ですが、ご実家への就職をきっかけに、何十年ぶりに飲んでビックリ!
「おいしいっ!」
日本酒の進化に驚いたといいます。

そこから、唎酒師(ききさけし)の資格を取るため日本酒の歴史を学んだところ、酒蔵にロマンを感じ、ますます日本酒の魅力にハマっていったそうです。

そして月日は過ぎ、ご実家「株式会社本家松浦酒造場」に入社して1年も経たないある日、松浦さんはお兄様からある重大発言を受けることになるのです。

2011年 代表取締役就任

「素子、あなたが社長になりなさい」

唐突にお兄様からでた言葉は、驚きを通り越すものでした!
「はぁぁぁぁ!!!!何言ってるのーーー!!???」
思わず心の声が口から漏れてしまったそうです(笑)

松浦さん、最初”自分にはムリだ”と感じていました。
ですが会社の経営状況やお兄様の考えを知り、ほかの兄弟の意向を聞いていくうちに、「私しかいない!」と感じるようになったといいます。

そして一度酒蔵から離れた松浦さんが入社して2年後、女性で初めて「株式会社本家松浦酒造場」の代表取締役に就任されたのです。

ちなみにお兄様は工学博士として、ナノミストテクノロジーズ株式会社というベンチャー企業を立ち上げられ、現在も多方面でご活躍されています。

人が集まれる酒蔵作り

代表取締役になった松浦さん。
最初に経営者としてすべきことを考えた時、最も重要なのは、「200年以上続いてきた松浦酒造をさらに100年築くこと」だと判断しました。

そのために必要なことは、「酒蔵を人が集まれる場」にするということ。

それまで関係者や配送者以外、酒蔵に入ることは許されていませんでした。
ですが、さらなる繁栄を考えた結果、古き良きしきたりは守りつつ、新たな方法を取り入れる大切さに気づかれたのです。

松浦さんは、母屋の一角に直売所を設けることから始まり、様々な企画を立てられました。

  • 向かいの福寿醤油さんと合同で蔵を見学できる「KuraKura見学」
  • お酒と音楽、人との交流を楽しめるイベント「ナルトタイ蔵蔵たちきゅう」

これらのイベントのおかげで、これまで敷居の高かった酒蔵という場所に、一般の方が気軽に訪れられるようになりました。

これらのイベントは口コミで少しずつ広まり、現在では「ナルトタイ蔵蔵たちきゅう」には約100人もの人が集まる一大イベントに拡大しています。

また、新型コロナウイルスが流行している間はオンラインで開催していましたが、今秋から十分な感染症対策を行ったうえで、「ナルトタイ蔵蔵たちきゅう」は復活を遂げています。

このイベントは人々が交流できる場であり、お酒やおつまみを楽しめる場として、多くの人に愛されるようになりました。

地域活性化と地域貢献

「株式会社本家松浦酒造場」は、鳴門でも西部にあたる大麻町「撫養街道」に所在します。
この辺りは、大谷焼の窯元、藍染め工房、お寺や神社、古墳など、歴史的建造物や文化が残存しているエリアであり、近年ではコウノトリがハス田へ飛来していることでも注目を浴びています。

松浦さんはこんなにも魅力ある徳島県(鳴門)が、魅力度ランキング下位、近県への通化県になっていることに悔しさを感じているんだそうです。

松浦素子

ここには古き良き日本の文化、昔ながらの町並みが残されているのに、通り過ぎられるのは非常に残念です。
今ある強みを生かし、もっと多くの観光客、インバウンドで徳島・鳴門を訪れてもらえるよう魅力を伝えていきたいです。

とおっしゃっていました。

またその反面、200年以上酒蔵が栄え続けてきたのは紛れもなく地域の方のおかげであり、地域の方の支えがあったからだといいます。

なので松浦さんの中には、「観光客を鳴門市に呼び込みたい想い」と、「地域の方の拠り所になりたいという想い」が混在しているんだとか、、

近年、近所付き合いが希薄になったり、高齢者の社会的孤立だったり、徳島も例外ではなく社会問題が浮き彫りになっています。
そこで、「酒蔵が地域にとって必要な存在」になれるようになりたいという松浦さん!
近所の方が、”ここに来れば安心”と思ってもらえるような酒蔵の在り方を、現在も追求されています。

それと同時に、鳴門酒蔵街道というプロジェクトの一員として、周辺の地域の方と一緒に、元来の地域交流が築ける街づくりを目指されているのです。

「想いは言葉で伝えていく」

想いを叶えるためには、まず口に出して伝えることが大切だという松浦さん。
松浦さんは、想いに賛同してくれた人たちと一緒に、思い描く街を実現するため、一歩一歩着実に歩まれています。

「株式会社本家松浦酒造場」のお酒紹介

では、松浦酒造ではどのようなお酒が造られているのかというと、現在は清酒や吟醸酒、リキュールなど70種類ものお酒が販売されています。

お米は”あわいちば山田錦”を使用し、どれも素材と質にこだわり、繊細な手作業で作られたものです。

また、コンクールで数々の賞を受賞し、世界的にも認められている銘酒があるんだとか!

ここでは一部をご紹介します。

創業時から受け継がれている清酒「鳴門鯛(ナルトタイ)」

世界でレベル高い賞を受賞した「水ト米」

アメリカで愛飲者多数!アルミ缶に入った日本酒

conasu

このお酒は、ハリウッド映画「ブレードランナー2049」に登場したんだとかっ!!

徳島の味「すだち酒」

健康とお酒が共存できる関係

conasu

だけど正直、自分の口に合うお酒って、実際飲んでみないとわからないですよね?

実は松浦酒造では、あなたの好みや飲み方をヒアリングし、あなたに合ったお酒を一緒に見つけてくれる試飲会を実施しています。

松浦素子

そうなんです、いくら賞を受賞していても、みなさまのお口に合うかどうかはわかりません。
一度飲んで、その方が”おいしい!”と思うお酒を見つけてほしいし、本当においしいお酒に巡り合ってほしいです。
なので、どなたでも気軽に試飲会にお越しください。(※お越しの際はご予約をお願いします。)
あともう一つ!飲み方にだけは、十分気をつけてくださいね。

たしかに、もっとも重要な「健康」を失っては意味がありません。

現在はいろいろなお酒が流通し、消費者に選択肢が多いため、何を基準に選べばいいか悩んでいる人もいるのではないでしょうか?
また、お酒に悪いイメージをもっている人もいますよね、、、

ですが松浦さんは、「何を選ぶか」「どのような飲み方をするか」によって、すべてが悪ではなくなるといいます。

あなた自身の味覚や嗅覚、感性で本質を見抜き、健康とお酒が共存できる関係を導き出すことが大切なんだそうです。

人々の生活が、豊かで幸せなものになることを願っている松浦さん。
株式会社本家松浦酒造場では、従業員、農家の方、お酒造りに関わるすべての方が手を取り合い、質にこだわり抜いたお酒を提供されています。

徳島から世界へ!

2019年、株式会社本家松浦酒造場の今後益々の発展を考慮したところ、松浦さんは代表取締役を退かれました。
代表取締役は酒類販売に実績と実力のある三上康士さんに託し、現在は10代目蔵元として、株式会社本家松浦酒造を支えられています。

ここで、松浦さんの今後の夢をお伺いしました。

松浦素子

日本人が作り出す日本酒は繊細で、技術力が高く、世界的にもレベルの高いお酒です。
世界では、日本酒がないお店は遅れているともいわれる時代、、
ここ徳島には、豊かな自然と技術力の高いとう、生産者さんが多くいらっしゃいます。
「徳島から世界へ」良き日本の伝統文化を届けられるよう、これからも精進して参ります。

最後にもう一つ、松浦さんに200年以上の歴史がある株式会社本家松浦酒造場の蔵元として、重圧とどう戦っているのか尋ねると、「やるしかない!退路を断つと決めました。」ともおっしゃっていました。

今後、日本酒が世界的にますます愛用され、徳島、鳴門に、世界中から多くの人が訪れる未来を、私たちも心から願っています。

conasu

余談ですが取材の日、倉庫に保管されている書物を鳴門教育大学の教授と学生が研究のため引き取りに来られていました。
江戸時代に書かれた書物が!倉庫から出てきたのですっ!!!
これを持ち帰って研究するそうですが、ここからまた、何か新たな事実が発覚するかもしれません!??
ここ松浦酒造は、夢とロマンに満ちた空間でした。