ご家族がお米や野菜を作っている人
お米や野菜を育てるおじいちゃん・おばあちゃん、または近所の人の姿をみてきた人

多かれ少なかれ、ここ徳島には農業に携わる人と共に育った人が多いのではないでしょうか?

今回の主役、酒井貴弘さんもまた、淡路島の農家で育たれたお一人です。
幼い頃は手伝いをさせられることが多く、汚くて格好悪い農家の仕事が大っキライだったといいます。

ですが今は、県内外に多数契約農家をもち、全国各地の企業や店舗に青ねぎを出荷し、設立から3年で売上1.2億円を達成されたアイ・エス・フーズ徳島株式会社の代表取締役です。

あれほどキライだった農業をなぜしようと思ったのか、どのような想いが酒井さんを突き動かす原動力になっているか・・・
ここでは、これまでの経緯や気持ちの変化を伺ってきました。

みなさんの中にも、農業を身近に感じてきたからこそ、農業にマイナスイメージを持っている人も多いのではないでしょうか?

  • 肉体労働で大変そうだった
  • 暑い日も寒い日も外で作業をしていた
  • そのわりに儲けは少なかった

など

酒井さんはこのようなイメージを払拭し、「儲かる農業システム」を実現するため、いろいろな角度から従来の仕組みを変革されています。
固定概念やしきたりにとらわれず、挑戦を続ける酒井さんの活動内容や想いをぜひご覧ください。

名前 酒井貴弘(さかいたかひろ)
生年月日 1993.6.5
職業 アイ・エス・フーズ徳島株式会社 代表取締役
趣味 サウナ
好きな食べ物 魚(淡路島も徳島も魚が新鮮でおいしい!)
SNS

農業の手伝いに明け暮れた少年時代

酒井貴弘さん、28歳(2022.4現在)は、玉ねぎの産地である淡路島の農家でお生まれになりました。
おもに農業をされていたのは、お祖母様とお母様。
お父様は電池関連のご商売をされており、お祖父様はご自宅で療養されていたそうです。

そのような状況の中、小学生の酒井さんは決まって農業の手伝いをさせられていたといいます。

子どもの頃は家族で外出した記憶はなく、周りの友だちは畑に見当たらない中、酒井さんだけがおじいちゃん、おばあちゃんに混じって手伝いをしていたんだとか、、、

また、酒井さんのお母様は嫁という立場で姑と農業をし、みんなの食事作り、お祖父様の介護、お父様の会社の事務と多くの役割りを担いながら、酒井さんとお姉様を育ててくれたといいます。
(幼い頃からお母様がグチをいうところは見たことがなく、社会人になって改めてお母様の偉大さに気づかれたという酒井さん。お母様スゴイ!スゴすぎるっっ!!)

conasu

酒井さん、よくお手伝いを続けられましたね。遊びたい盛りだったでしょうに・・・

酒井貴弘

そうですね。小学生の頃は本当によく祖母や母と畑に出て、手伝いをしていました。
ですがぼくも思春期が近づくにつれ、作業しているところをだれかに見られるのが恥ずかしいと思うようになったんです。
お年寄りに混じって、汚れた格好で作業することがイヤで仕方ありませんでした。

conasu

そうなんですね。でも実際、遊びに連れていってもらえず、友だち周りで手伝いをしているのは自分だけという状況で、好んでお手伝いできる境地にはなかなか至れませんよね・・・
どのような気持ちでされていたんですか?

酒井貴弘

実はお手伝いをしたらお小遣いをくれていたんです。
日当約1000円。完全にそれ目当てでしていました!(笑)

conasu

そうだったんですね。やはり何か楽しみがないとできませんよね。
孫といえど、きちんと報酬を用意されていたお祖母様のやり方は素晴らしいですね。

このように書くと、さぞかしお祖母様は稼がれていたと感じるかもしれませんが、お祖母様の口癖は、「農業は儲からん!」だったといいます。

朝、学校へ行く前はアニメを見ていた酒井さん。
ですが出荷時期になると、お祖母様はチャンネルを譲ってはくれませんでした(笑)

そして市況(市場での状況)を見ながら、「今年も玉ねぎは安いなぁ~儲からんなぁ~」とつぶやくお祖母様の言葉を聞きながら、酒井さんも黙って市況を眺めていたのです。
”農業は儲からない” “ばあさんは困っている”という現実を、少年ながら感じ取っていました。

農業はこんなにも過酷で重労働なのに、儲からない。
周囲にはお年寄りしかおらず、汚れた服で作業をするのは格好悪い。

酒井さんの中で農業に対する想いはマイナスなものばかりが膨らみ、成長とともに農業とはキョリをとり、畑に顔を出す機会は減っていったのでした。

理想通りにいかない野球人生

農業を抜きにした酒井さんは、幼い頃からわんぱくで、悪さはしないやんちゃ少年だったそうです(^^)

小学3年生の頃には、校区外の野球部に入部しました。(地元の小学校にはなかったため)
そこで新しい友だちに出会い、野球の楽しさを知り、どんどん野球の魅力にハマっていったといいます。

実際、持ち前の能力が開花し、気がつけば「投げて、打って、守れる」オールマイティーな存在に成長!
人数の少ない淡路島の小学校が、近畿大会に出場するという快挙をもたらすメンバーの一員として、貢献されたそうです。

野球という楽しみを見つけ、中学校でも順風満帆な野球生活を送られていた酒井さんでしたが、中学3年生の時、生徒会長になったタイミングから少しずつ歯車が狂っていくのです。

新監督が就任した中学2年生の時は、監督に気に入られる存在でした。
ですが3年生になってから徐々に監督との意向が合わなくなり、メンバーに起用される回数が減っていったのです。
球児にとって大切な最後の大会にも、出場はさせてもらえませんでした。

自分自身の能力や練習に対する姿勢は変わっていなかったはずなのに、一体なぜ!?

酒井さんはとてもショックを受け、やり場のない思いを半ばグレた行動をとることでごまかしていました。

そんな様子をお母様は何も言わず、そっと見守ってくれたといいます。
また、友だちや友だちの両親がサポートしてくれたおかげで、高校でも野球を続けることができました。

ですが高校でも、理想の野球人生を送ることはできません。

なぜか中学生の頃と同じ扱いを受ける日々、高校3年生の夏の大会3ヵ月前には腰を骨折し、野球自体できなくなり、高校生活は終わりを迎えたのです。

酒井さんは、この時はじめて挫折を味わいました。
”なぜこんなにもうまくいかないんだ!自分はどうすれば輝けるんだ・・・”

周囲の大人に認めてもらえない悔しさともどかしさを感じながら、これからの自分についてひたすら自問自答を繰り返されたそうです。

その結果、”目的もなく大学へ行くのはもったいない。だれよりもはやく就職してぼくは輝きたい!”という思いは日に日に強まり、地元の会社に就職することを決められました。

自分の居場所を見つけたい

酒井さんが入社されたのは、地元の鋳物(いもの)を製造する会社でした。
鋳物とは、特殊な砂を機械で型に流し込み、300℃~400℃の熱で焼き固めるという特殊な技術を使って作られる製品で、重機のパーツに使われている部品を作られていたそうです。

その会社の習わしとして、入社3年目から扱えるメインの仕事がありました。
そこで、”だれよりも早くこの仕事をする!”と目標を掲げていた酒井さんは、異例の1年目で任されることに成功!

自身の能力を評価してもらい、やりがいを感じながら働いたそうです。

ですが、いかんせん300℃~400℃の熱の中に上半身を入れて作業をするという修行並みのハイレベルな職人技は、酒井さんの身体に負荷がかかりすぎていたのです。

体調を崩すとともに、いくらがんばっても高卒ということで見合わない給料・・・
ここでは仕事を続けられないと悩んでいた時、声をかけてくれたのが現在本社代表の山本さんでした。

山本さんは酒井さんの社会人野球の先輩でありながら、お父様が始められていた青ねぎ事業の運搬役をしてくださっていた方。
なんとも偶然な出会いと、山本さんの親族が玉ねぎ加工会社を設立するというタイミングが重なり、その会社に就職することになりました。

ですがここでも、神様は酒井さんの輝きたいという願いを叶えてはくれません。

やりたかった営業職を担当する約束で入社したのに、働き始めて1週間経った頃から違う部署に配属を命じられたのです。
それに加え、残業代は付かない、早出遅出は当たり前という会社の方針に違和感を覚えていたのは酒井さんだけではなく山本さんも同じでした。

タイミングとは偶然なのか運命なのか、ちょうどこの頃、青ねぎ事業の法人化を考えていたお父様が、「3人で会社を立ち上げよう」と声をかけてくれたのです。

前職での健康問題、給与面や会社の意向との相違など、多くの苦労をしてきた酒井さん。
綺麗事ではなく、お父様と一緒に立ち上げようと思った動機は、給料が高いことでした。
(農業にはまだマイナスな思いしか残っていなかったため)

そのときのお父様は、青ねぎ事業を軌道に乗せられ、決算書を見せながら、農業の可能性を教えてくれたといいます。

「農業はやり方一つ、考え方一つで儲かる!」

酒井さん、20歳。
生まれてはじめて、農業に対する意識が変わりはじめた瞬間でした。
そしてこの言葉は、のちの酒井さんの人生を大きく変化させていくのです。

3人でアイ・エス・フーズ株式会社を立ち上げてからというもの、酒井さんは農業ビジネスの楽しさを肌で感じました。
また、学歴や会社の意向に左右されず、成果に見合った報酬をいただける喜びを味わいました。

そして会社を立ち上げ約3年経ったころ、農業に対する意識が大きく変化していた酒井さんは、徳島県阿波市に第二の拠点を作ることを決心されるのです。

2017年「アイ・エス・フーズ徳島株式会社」設立

本社からベトナム技能訓練生3人を連れての徳島進出。
だれも知らない場所でのスタートは、地域の人に受け入れてもらえるまでとても大変だったといいます。

ですが、酒井さんはここでも目標を掲げられていました。
「設立3年目には1億円を売り上げる!」

また学生時代輝けなかったから経験から、「ぼくの生きた証を残す!ぼくはここで輝く!」という強い思いをもっていたからこそ、どんな困難にも立ち向かう強さがありました。

酒井さんご自身も当時を振り返り、

酒井貴弘

体力的には辛かったけど、自分で一から作り上げていく楽しさを感じていたし、とても充実していました。
また周囲の人がぼくたちを受け入れてくれてからは、人の温かさに支えられています。
今では淡路島よりも、過ごしやすさを感じているほどです(^^)

と、おっしゃっていました。

設立から3年、目標以上の1.2億を売り上げ、現在は従業員32名という大所帯にまで拡大。
当初、契約農家の敷地面積が田んぼ2枚(2a)ほどだったところ、今では5年で70倍!東京ドーム4個分(14ha)もの敷地を任される会社に成長されています。
※アイ・エス・フーズ徳島株式会社では、高齢化や後継者不足などから農業を続けられなくなった方と契約を結び、その土地で青ねぎを栽培しています。

国際企画基準ASIAGAPを取得された安心安全な青ねぎ

酒井さんの心の中には、「農業はやり方一つ、考え方一つで儲かる!」というお父様の言葉が常にあり、ご自身だけではなく従業員、農業従事者、新規就農者、農業に携わる人がいかに働きやすく儲かるビジネスにシフトチェンジできるかを考えられています。

これは、幼い頃から苦労している家族をだれよりも近くでみてきた酒井さんだからこそ、できることなのでしょう。

「儲かる」というと、あまり心地よく聞こえないかもしれませんが、お金があるから自分のやりたいことができるし、豊かな生活につながります。
会社としても、資産があるからこそ設備投資ができたり、優秀な人材を雇用することができます。
すなわち、お金は使い方次第で、選択肢と可能性を広げられると酒井さんはおっしゃっていました。

conasu

では、儲かる農業システムを実現するため、アイ・エス・フーズ徳島株式会社ではどのようなことをされているのですか?

酒井貴弘

実家のように個人で作物を栽培、生産するだけでは体力的に限界があり、どうしても価格競争に巻き込まれてしまいます。天候にも左右されますし、自分たちで作ったものは自分たちで売っていかなければ儲けにはつながりません。
なのでぼくたちは自ら販路を開拓し、価格競争に巻き込まれない仕組みを作っています。そして栽培技術・生産加工・営業などすべて役割を分担し、「農業=経営」という感覚を養いながら、自分の強みを活かせる体制を整えています。

conasu

では今後、農業界を繁栄させていくためには、どのようなことが必要だと思いますか?

酒井貴弘

「農業=経営」という感覚を、農業に携わる人すべてが意識することが大切です。
そして機械やテクノロジーを駆使し、労力を抑えながら作業効率を上げ、安定した供給を保持すること。
農業だけにとらわれず、クリエイティブなアイデアで農業の価値を見いだすこと。
従来のやり方に縛られず、新たな仕組みを形作ることが重要だと思います。
あとは、同じ価値観や志を持つ仲間と手を取り合い協力することも大切ですし、「汚い・地味」を払拭する外見的なカッコよさも必要だと思います。

自分たちの仕事に誇りをもち、挑戦を続ける酒井さん率いるアイ・エス・フーズ徳島株式会社様の姿をみて、農業が「楽しそう・かっこいい・やってみたい」と感じる若者が増えることを私も楽しみにしています。

自分が輝く方法とは

酒井さん、ここで正直な気持ちを話してくれました。

酒井貴弘

農業が楽しいと思ったことは今でもないですね~

私も驚きを隠せませんでしたが、これが酒井さん含め、農業従事者のリアルな声なんでしょう。

従来は休みなく人の手間をかけていたところ、機械を導入することで極力労力を抑えたり、品質や栄養価の保持・向上のため、データ分析・研究開発を繰り返したり、より良い農業のため惜しみなく労力をかけられています。

しかしまだまだ課題点はあり、機械やテクノジーで補えない部分もあるので、大変なことも多いんですって、、、

ですが今回お話を伺って感じたのは、酒井さんは「挑戦すること」に楽しさを感じているということです。

農業界には、経験を積んだ先輩方がたくさんいらっしゃいます。
そこを若い立場で改革するということは、ものすごく勇気のいることだし、恐怖や不安もあるでしょう。
ですが酒井さんは、それ以上に挑戦することへの喜びに胸を踊らせています。
それがたとえうまくいかなったとしても、それを失敗とは思わず、それさえもバネにする力があります。
そんな酒井さんは、自分で何か道を切り開いていくことが本来の願望であり、これまでの経験から見つけた「輝ける方法」なのではないでしょうか。

酒井さんご自身も、学生時代、野球で起用されなかった理由として、

明確な目標をもたず、自分のやりたいことをしていたこと

に原因があったのではと、あとから思うそうです。

ですが今は、農業に携わる人すべてに笑顔と幸せを届けるという目標を掲げ、農業の仕組みを変えていくのは自分たちだという使命を感じながら、挑戦を続けられています。

ここアイ・エス・フーズ徳島株式会社には、そんな酒井さんの行動力や人柄、想いに共感する人たちが結集しているのです。

農業は可能性を秘めている

私も酒井さんとお話して初めて知ったのですが、農業とは栽培するだけではなく、多くのスキルを活かせる業界なんですって!

バイオテクノロジーやシステムエンジニア、経営感覚、販売能力など、現在も農業経験者は1名しかいないんだとか!

ですがそれが逆によくて、未知の分野に挑戦することに、新たな価値を生み出す可能性が秘められているそうです。

ここで、酒井さんの現在の目標、今後挑戦したいことを教えていただきました。

  • 40歳までに農業で上場する
  • 産業の価値を高め、若い人たちに農業の可能性を届けていく
  • 資源を活用し、地域を盛り上げていく

農業界全体を底上げすべく、大きな可能性を秘めた酒井さん率いるアイ・エス・フーズ徳島株式会社様のさらなるご活躍を、私たちは応援しています!


conasu

ちなみにアイ・エス・フーズ徳島株式会社様の青ねぎは、徳島県では「セルフうどん関」「お好み焼きヴァンサンカン」などでいただくことができるそうです。
関さんに来店したネギ嫌いの子どもさんが、「ここのネギは食べれる~」と食べてくれるほど、えぐみがなく口に残らないんですって!
ネギの味の違いがわかるあなた、ぜひご賞味ください(^^)