近年、医療の発展により、超未熟児や先天的な病気をもつ子どもたちの命が、多く救われるようになったことをご存知ですか?
これは医学の進歩、医療関係者の懸命な努力の賜であり、親や家族にとっては大変喜ばしい状況です。
ですがその一方で、病院を退院したあとも医療的ケアが必要だったり、病気や障がいを抱えて生活するお子さんも増加しています。
支援が必要なお子さんは、保育園への入所が難しかったり、長時間預かってもらえる施設がなかったり・・・・
不安や悩みを抱えながら、在宅でお子さんのお世話をしている方も少なくありません。
株式会社ハビリテ代表取締役 太田恵理子さん、36歳(2022.9現在)。
太田さんには、先天性水頭症という病気をお持ちの息子さんがいらっしゃいます。
お子さんのリハビリ・療育通い、保育園探しには大変苦労されたお一人なのです。
当時、入所できる保育園は見つからず、仕事を退職することとなり、未来に大きな不安を感じられていました。
ですが、”息子を預けられる施設がないなら、自分でつくる!”と決心されてから、人生が大きく変わりはじめたのです。
現実の厳しさに直面し、たくさん苦しんだ太田さんがつくりたかったのは、「我が子を本気で預けたいと思える施設」でした。
子どもたちの成長を支え、ご家族がムリなく安心して預けられる施設をつくることで、支援を必要とするおやこに希望の光を照らす存在になりたかったのです。
そして現在は、「おやこ支援室 ゆずりは」「ゆずりはplus」「ゆずりは保育園」の創立者として、多くのお子さんとご家族に寄り添ったサービスを提供されています。
取材の日、太田さんは過去を振り返り、当時苦しかった胸の内を涙を流しながらお話してくれました。
ここでは太田さんのこれまでの人生や、お子さんとの歩みに加え、辛く苦しい状況をどのように乗り越えたのかなど、包み隠さずお話してくださったのでどうぞご覧ください。
名前 | 太田恵理子(おおたえりこ) |
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生年月日 | 1986.9.5 |
職業 | 株式会社ハビリテ代表取締役 |
趣味 | 人と話すこと |
好きな食べ物 | お刺身 |
SNS |
不安に勝る行動力!有言実行の原体験
徳島県上勝町ご出身の太田さん。
お祖父様からお父様へと引き継がれている、ゆず農家の長女としてお生まれになりました。
ご実家は山間部に位置し、山の斜面という小高い場所。
自然に囲まれのびのびと育った太田さんは、しっかり者で活発な女の子でした。
それを証明するエピソードとして、4歳のときから幼稚園まで友だちと山を歩いて登園していたんだとかっっ!!!
幼稚園や小学校がある平地までの道のりは、約1.5km!
山の動物に遭遇することも珍しくはない中、小学校を卒業するまで毎日歩いて通っていたといいます。
(上勝町では珍しくはないそうですが・・・)幼稚園からってスゴすぎませんか!??
私は驚きを隠せませんでしたが、お母様は太田さんに確固たる信頼を寄せていたそうで、温かく見守ってくれたそうです。
また幼い頃から本が好きで、図書館で借りた伝記を読むのも好きな時間でした。
勉強は好き、体を動かすことも好き、充実した小学校生活を送っていました。
しかし、楽しみにしていた中学校は、小学校とはまったく違う環境でした。
これまで通っていた小学校ともう一校が合併したことにより、人間関係が大きく変化したのです。
「今日の友は明日の敵」
これは中学生の太田さんが、自然と身につけた教訓です。
今日はあの子の悪口、明日はあの子の・・・
日によって変わる標的(攻撃対象)に太田さんは巻き込まれ、中学時代の大半を人間関係に苦しめられたといいます。
ですが、そう簡単にへこたれる太田さんではありません。
そこで生きていくためにはやり返すことも必要で、”どうすれば反撃できるのか・・・”一人で必死に考え、自分の生きる術を見つけ出されていました。
そして最終的には、”こんな田舎早く出ていく!”と心に決め、自ら新しい環境に身を置くという選択をされたのです。
高校から親元を離れること。
これも上勝町では珍しくはありません。
勉強が得意だった太田さんは、総選校である城ノ内高校への合格切符を手にし、”田舎を出られる!家を出られる!”と胸を躍らせ、15歳のときに家を出られました。
※当時、徳島市内の一部の高校は総合型選抜という入試方式が取り入れられ、徳島市外から志願することはとてもハードルの高い受験方法でした。
自分が心から求めるものを手にする
新たな環境を手に入れた太田さん。
お住まいは寮ではなく、自由が保証されている一人暮らしを選択されました。
15歳という年齢で、一人暮らしをすることに不安はありませんでしたか?
まったくというとウソになりますが、不安はありませんでした。
実家の場所や親戚の経歴などから、高校で親元を離れることは珍しくありませんでしたからね。
一人暮らしということは、勉強以外に料理や掃除もすべてご自身でされていたのですか?
基本的には、勉強と部活(バレーボール)に注力していました。
部屋は片付けられないことも多々あり、食事も菓子パンの食べ過ぎでめちゃくちゃ太りました(笑)
でも、いま思うとよく頑張っていましたね~!
学区外ということで最初はアウェー感も感じたそうですが、持ち前の社交性で友だちは増え、だれにも縛られることのない自由な時間を、勉学と部活にいそしまれました。
この頃の太田さんの夢は、法律を扱う職に就くというもの。
中学時代の体験から、非論理的な出来事に対し、
緻
密
に戦略を練って立ち向かうことにどこか楽しさを感じていたのです。
ですが、第一志望であった国立の法学部には、センター試験の点数が届きませんでした。
人生で初めて挫折を味わった瞬間、、、
滑り止めに受けていた私立の法学部へ行くか、国立の経済学部へ行くか悩んでいた太田さんに、ご両親は「国立に行って欲しい」と願ったといいます。
そして香川大学経済学部に進学されたのですが、”ここは私の来る場所じゃない、親に決めさせられた・・・”という思いがぬぐえず、授業に顔を出すことはあまりなく、無気力に過ごす日々を送られました。
ところが月日は流れ、音楽という趣味のあう仲間とバンドを結成するようになってからは、だれよりも大学生活を楽しまれていました。
実は私、2回留年しているんです。
高校までは勉強を中心にがんばってきましたが、大学では、仲間との時間や趣味の時間がものすごく楽しくて・・・気がつけば、6年過ぎていました(笑)
就職活動では、持ち前の社交性と話術を活かし、留年というマイナス部分も面接でカバー!
スーパーなどでよく目にする製氷機を開発・設置している、ホシザキ四国株式会社に入社されました。
私生活では結婚・妊娠と、順風満帆な暮らしを手に入れられていたのです。
突然の宣告と私の使命
妊娠5か月の頃には、性別は男の子とわかり、胎動も感じていました。
健診ではエコー越しに我が子に会える喜び、自分のお腹に生命が宿る奇跡を感じながら、溢れんばかりの幸せを噛み締めていたのです。
次回の6か月健診も、同じように時は過ぎると疑うこともなく・・・
ですが、その瞬間は何の前触れもなく訪れました。
超音波検査をしてくれている医師の手が止まり、
「太田さん、すぐに紹介状を書くので大学病院へ行ってください。」
というのです。
太田さんは何のことか意味がわかりませんでした。
ですが説明を聞いていると、「脳の部分に水が溜まっていて、水頭症の可能性がある。お腹の赤ちゃんが無事生まれるかはわからない。」そのようなことを言っているのです、、、
頭が真っ白になるとはまさにこのこと、”なぜ急に?この前まで何も言っていなかったのに?”太田さんは医師の言葉をすぐには理解できませんでした。
実はこの健診、本来なら1週間前に行われる予定でした。
ですが病院側の都合で、1週間延期になったのです。
結果、健診が行われた日は、お腹の赤ちゃんを堕胎できる日から5日後のことでした、、、
(今は息子さんに会えたことに心から感謝しているそうですが、当時は病院を責める気持ちもあったし、今後の人生について深く考えたそうです。)
それからというもの、これまでの幸福感溢れる妊婦生活は、不安と困惑の生活に一変しました。
インターネットを調べると、出てくる情報にメンタルは追い込まれ、原因不明の病とわかっていても自分を責める日々・・。
お腹には以前と変わらず胎動を知らせてくれる我が子がいるにもかかわらず、今後どうなるのか、元気に生まれてきてくれるのか、多くの不安を抱えながら出産の日を迎えられました。
某日、息子さんの産声を聞いた時、なんともいえない感動を味わったといいます。
ですが喜びと安心を感じられたのも束の間。
出産翌日、生まれたばかりの息子さんは、頭の水を抜く手術を受けることになっていました。
生後3か月の時には、頭からお腹まで管を通す手術も受けられました。
また息子さんが退院するまでの4か月間、太田さんには1日2回、搾乳した母乳を保育器にいる我が子へ届けるという役目もあったのです。
この頃の太田さんは、息子さんの状態が気が気でないうえ、睡眠時間を削っての搾乳に体力も奪われ、精神的にも身体的にも限界を感じられていました。
この頃が人生でもっとも辛かった時期という太田さんは、”自分が母乳を持っていかないとあの子は死ぬ”という強迫観念に駆られる思いで日々過ごしていたといいます。
健診があったあの日から、相当辛く、苦しい時間を過ごされたと思います。
太田さんを支えてくれた存在、気持ちを切り替えられた方法は何だったのでしょうか?
私を支えてくれたのは、Instagramで出会った同じ境遇のママの存在でした。
病を持ちながらも元気に過ごしているお子さんの姿に、希望を与えていただきました。
もちろん家族が全力で味方になってくれたことにも助けられましたが、同じ立場の人と話すことは私にとって1番の癒しでした。
そうだったのですね。
少し前までは、病気や障がいを隠す風潮が強かったように思います。
ですが包み隠さず発信してくれる方がいたおかげで、太田さんは救われたのですね。
はい、だからこそ私は一人じゃないと思えたし、”やるぞ!”と自分自身を奮い立たせることができました。
次第に、”自分がされて嬉しかったことを自分もしたい”と思うようになり、私自身も息子の様子を発信するようになったんです。
すると今度は私が感謝の言葉をいただけるようになって、、、この時はじめて私の使命のようなものを感じました。
ただ、太田さんも最初はお子さんに障がいがあることをだれにも知られたくなく、サブアカウントで発信していました。
他のお子さんと比べて落ち込むこともあったし、多くの不安と葛藤を抱えていたし、ご自身のメンタルを保つのも大変だったといいます。
ですがSNSで出会ったママに加え、リハビリや療育で出会ったママと過ごす中で、少しずつ気持ちを整理していかれたのです。
現実の厳しさを体感する
お子さんが生後6ヵ月になる頃、医師の勧めで、発達を促進・サポートしてくれる「小児リハビリ」を受けることになりました。
ですが当時、徳島には子どもがリハビリを受けられる施設が多くはありませんでした。
やっと見つけた施設は、自宅から40分以上かかる場所。
リハビリは1時間もありませんでしたが、週2日、リハビリより長い移動時間、お子さんの成長をただただ願い車を走らせたといいます。
次に、教育や指導訓練を受けられる「療育」を受けたいと考え始めましたが、こちらもほとんどの施設が3歳から、もしくは歩けるようになってからという条件があり、0歳児から入所できる施設はあまりなかったんですって、、、
唯一見つけた施設は定員がいっぱいで思うようにお子さんを預けられず、母子同伴で通える施設には、週3日、1日5時間、太田さんも一緒に通所されたそうです。
太田さんはお子さんが生まれてから、ほとんどの時間をリハビリと療育に費やしてきました。
どんなときも自分のことよりお子さんを優先し、母親として必死に戦っていたのです。
このころ、太田さんの支えになっていたのは、やはり一緒に同伴しているママの存在でした。
同じ経験をしている人達に、お子さんの悩みやご自身の苦労を理解してもらえることが、心の支えになっていたのです。
そしてもう一つが、お子さんの成長です。
小児リハビリ・療育を受けていく間に、みるみる成長する息子さんの様子には、大変胸を打たれたといいます。
なかでも、名前を呼ばれて反応が増えていく過程は今でも鮮明に覚えていて、リハビリと療育の効果を目の当たりにした出来事だったとおっしゃっていました。
お子さんの成長を肌で感じ、仕事復帰を視野に入れはじめた太田さん。
ほどなく保育園への入園を考えていましたが、預かってくれるところは見つからなかったといいます。
太田さんのお子さんの場合、頭に磁石を近づけてはいけないとか、衝撃を与えてはいけないとか、命に関わる制約があったのです。
保育園側としても前例がなく、職員が足りないという現状から、安全性を考慮した結果だということは重々理解していましたが、いち母親として、悔しさと悲しさで胸が張り裂ける思いだったそうです。
そして新たな選択肢は見つからないまま、離職せざるを得なかったのです・・・。
職を失うという不安、我が子はこの先どのような人生を送ることになるのかという心配・・・
答えの出ない日々を悶々と過ごされていました。
そのような矢先、たまたま見たテレビで、「保育園に落ちたママが、自分で保育園をつくる」という内容の特集をしていたのです。
それを見た瞬間、
”これだ!私も保育園をつくる!”
太田さんに一筋の光が差し込みました。
子どものためではなく、自分のために
「現実的に預かってもらえる保育園がないなら、自分でつくる!」
強い意志を固めた太田さんは、”やるなら絶対成功させる!”と心に誓い、前だけをみて歩みはじめました。
これはもはや、お子さんのためというよりも、太田さんご自身の目標(夢)になっていたのです。
2018年8月末日、ホシザキ四国株式会社を退社。
2018年10月、息子さんの様子や太田さんの想いを、実名で発信スタート。
これまでたくさん葛藤を繰り返してきた末、太田さんが導き出した答えは、「人と比べることに意味はなく、息子の個性を大切にしたい」というものでした。
実名での発信は、お子さんの障がいを隠すことも、恥じらうことも何もない!という太田さんの意思表示でもあったのです。
また、これまで同じ境遇のママによる発信に支えられてきた太田さんだからこそ、ありのままの状態や素直な気持ちを発信する大切さを知っていました。
知り合いはゼロ、福祉の経験もゼロ、何もない状態からのスタートでしたが、太田さんの投稿を見た人の中には、応援する人、共感する人が少しずつ増えていったのです。
太田さんは起業するにあたり、大切にしていたことが2つありました。
- 多くの人に知ってもらうこと
- ファン(理解者・協力者)になってもらうこと
一人の力では限界があることを、体感的に理解されていたのです。
そのためご自身でできることには精一杯挑戦し、多くの人に知ってもらい、ファンを増やすことに尽力されました。
まずは、リハビリと療育のすきま時間に、参考書やアプリを用いて独学で勉強し、保育士資格を取得!
それから女性起業塾などのセミナーに参加し、ビジネスコンテストにも応募しました。
また、多くの人に想いを知っていただくために始めた「100組撮影プロジェクト」では、すぐに定員が埋まるほど大盛況だったそうです。
このとき出会った方々の中には、今も変わらず応援してくださる方がいることを、とてもありがたいことだとお話してくれました。
そして意を決して挑戦したクラウドファンディングでは、スタート7日目にして、目標金額の150万円を達成されました!
最終的には、200万円を超えるご支援をいただいたという結果から、多くの方に支えられていることがわかります。
太田さんの夢は、いつしか、周囲の人々の夢にもなっていたのです。
当時のことを振り返り、次のようにおっしゃっていました。
施設をつくると決めてから、心が折れそうになったことはたくさんありましたが、”私がやらなかったらだれがやる!”と自分に言い聞かせてがんばってきました。
クラウドファンディングに挑戦し、多くの方がご支援してくださった時には、”生きていてよかった・・・”と思ったし、”次は私が困った人の力になりたい!”と心から思ったことを覚えています。
2018年11月、施設の運営会社となる合同会社ハビリテ(現:株式会社ハビリテ)を設立。
2019年4月、おやこ支援室ゆずりは(児童発達支援事業所)を開業。
わずか7か月という間に、夢を実現化されました。
この療育施設は、私が経験者として”こんなところがあったらいいな”と感じたことを詰め込みました。
・0歳児から受け入れて欲しい・・・
・預けている間にリハビリをして欲しい・・・
・長時間子どもだけを預かって欲しい・・・
支援が必要なお子さんに十分なサポートをすることはもちろん、ご家族の負担を少しでも軽減することが私のやりたいことだったんです。
実際「おやこ支援室ゆずりは」ができたことで、自分の時間を確保できたり、仕事に出られるようになったり・・・心のゆとりと選択肢を得たママがたくさんいらっしゃいます。
これまで苦労してきた太田さんだからこそ、いま悩んでいるママに寄り添い、気持ちを理解することができるのです。
太田さんは「発信」に加え、「支援」というかたちでも、多くのママに希望の光を照らす存在になったのです。
そして2020年7月、ゆずりはcareplus(児童発達支援施設)開業。
※ゆずりはcareplusは、現在ゆずりはplusに名称変更しています。
重度の障がいを持っているお子さんや、医療的ケアが必要なお子さんも、ご家族と離れ、友だちやスタッフと集団生活を経験できる場所をつくられました。
実は重度の障がいを持っているお子さんや、医療的ケアが必要なお子さんは、全国的にみても子どもだけ預かってくれる施設はほとんどありません。
そのような中、専門性の高い医療スタッフを揃え、小規模体制にすることで受け入れを可能にしたゆずりはcareplusは、支援を必要とするご家族にさらなる希望を与えられました。
これらの取り組みや太田さんの想いは、徳島県だけにとどまらず全国でも脚光を浴び、人々の期待と関心を集めているのです。
そして2022年4月ゆずりは保育園(私立認可保育所)開所。
念願のリハビリ&療育が受けられる保育園を創立されました。
ゆずりはの”ゆず”は、私の実家のみかん畑が冷害で全滅した時、ゆずを植えてピンチをチャンスに変えてくれた作物であることから、「りは」は息子を助けてくれたリハビリから取った名前です(^^)
もし、いま悩まれているママがいたら、ぜひ一度お会いしましょう。
いつでもお待ちしています。
心の軌跡と今後の夢
太田さん、これが3年数か月のお話だとは到底信じられません!
ものすごく順調に夢を叶えられたんですね!
いえいえ、全然そんなことありません。
”私は経営者に向いていない”と何度思ったことか・・・
経営方針が揺らいだり、代表としての意志決定を間違えたり、社員の信頼、保護者の信頼を失うこともたくさんありました。
最初は現場で保育士として働いていましたが、事業の拡大と共に、私の任務やポジションも移行する中で、多くの選択ミスをしてきました、、、
そうだったんですね。
そのような状況をどのように乗り越えてこられたんですか?
私はその都度出会った方々に助けられてきました。
なかでも徳島県中小企業家同友会の先輩方に、「ブレない理念を見つける重要性」を学んだことは、とても大きな学びでした。
・私はこれまでいかに人のせいにしてきたのか
・本当に社員のことを考えていたのか
自分自身のあり方を見直す機会をいただいたんです。
そうしている間に、私は一人で戦っていたことに気がついたり、社員を仲間だと心から感じられるようになったり、多くの気付きと学びを得たことが今につながっています。
でも太田さん、お子さんを育てながら仕事に注力するのは難しくありませんか?
どういう私生活を送られているのですか?
実は夫とは事情により離婚しましたが、現在は3人で過ごしたり、日替わりで息子のお世話をしたりしています。
これは一般的ではありませんが、お互いの仕事を尊重をし合い、息子との時間も大切にできるので、私たち家族にとってはいいカタチなのかなと思っています。
ですがこのようにいうと、周囲からはいい母親じゃないと思われるかもしれません。
だけど私は、息子にとってはいい母親だと思っているし、今は寂しい思いをさせているかもしれないけど、「大きくなった時、絶対にいい社会になっているから!」という思いで仕事をしています。
スケールの大きさが違いますねっ!!
最近は多様性が認められる社会に変化していますものね。いろいろな家族のカタチがあっていいと思いますし、こうやって公にしてくださることで、いま悩まれている方に勇気を与えてくださっているように思います。
では、今後の夢を教えていただけますか?
現在の日本では、医療スタッフが不足していることから保育園での医療体制はまだまだ整っていません。
当園でも、保育園と児童発達支援施設を併設していることで、保育園でのリハビリ・療育が可能な状態です。
今後、保育園に看護師やリハビリスタッフなどの医療職を配置することで、障がいのある子もない子も多角的かつ専門的な支援を受けられる状態を目指します。またそのモデルを全国に展開し、すべての子どもたちが必要な支援を受けられると共に、ご家族の悩みや不安を解消できるサービスを提供していきたいと思っています。
太田さんには、”だれ一人取り残されることがない社会を、徳島から実現していきたい!”という夢もあります。
太田さんは当初、お子さんが通えるリハビリや療育施設が限られていたり、保育園に入れなかったり、苦しみと悔しさをたくさん味わってきました。
でも、夢を行動にうつしたことで、道は開かれたのです。
諦めずに動き続けたことで、ファン(理解者・協力者)は確実に増えているのです。
人々は太田さんの揺るがない信念に共感し、有言実行力をうやまい、共に夢と希望を抱いているのではないでしょうか。
私もお話を聴いていて、太田さんが掲げられている”おやこを照らす光に”という理念は、「発信」から「支援」、「社会変革」というかたちに大きく変貌していく可能性を秘めていると強く感じました。
「だれ一人取り残されることがない社会」を実現するため、私たちにまずできることは、現在の状況を知ることだと思います。
保育園の待機児童が問題として取り上げられる一方、支援を必要とするお子さんの中には、施設に入所するという選択肢さえ与えられていない現状があるのです。
太田さんが思い描くように、障がいがある子もない子も、すべての子どもが平等なサービスを受けられる社会が実現すれば、子ども達の成長は支えられ、家族の笑顔はさらに増えることでしょう。
一人ひとりの個性を大切に、だれ一人取り残されることがない社会を目指し、諦めずに進み続ける太田さんのご活動を、私たちはこれからも応援しています。
施設紹介
ゆずりは保育園
障害児支援に特化した、徳島市の私立認可保育所です。
園児は障がいがある子もない子も在籍し、さまざまな特性を持った子ども同士が日常的に触れ合うことで、互いの違いを個性であると感じられる豊かな心を育まれています。
保育園に通っている間に、理学療法士・作業療法士・言語聴覚士による個別リハビリを受けることも可能です。(受給者証をお持ちの方対象)
〒770-0052 徳島県徳島市中島田町4丁目53−1
https://goo.gl/maps/xJHpkxnj3bf65XHH8
ゆずりはplus
重症児・医療的ケア児向けの児童発達支援施設で、「ゆずりは保育園」に併設されています。
(ゆずりはcareplusは、現在ゆずりはplusに名称変更しています。)
児童発達支援管理責任者、保育士、リハビリスタッフ、看護スタッフが常駐しているので、医療的ケアや専門性の高い支援を受けられます。
ご家族と離れ、友だちやスタッフと過ごす中で集団療育・個別療育を受けられる全国的にみても数少ない施設です。(0歳~就学前までのお子様対象)
〒770-0052 徳島県徳島市中島田町4丁目53−1
https://goo.gl/maps/xJHpkxnj3bf65XHH8
おやこ支援室 ゆずりは
0歳から6歳の未就学児のお子さんを対象とした児童発達支援事業所で、ゆずりは保育園とは別の場所にあります。
理学療法士、作業療法士、言語聴覚士により個別訓練が実施され、最長8時間の受け入れも可能です。
ご家族と離れ、友だちやスタッフとさまざまな課題にチャレンジする楽しさを味わうことができます。
〒770-0044 徳島県徳島市庄町4丁目87−7
https://goo.gl/maps/sH6b9cgfYaDTn3ZK7
今後、小学生のお子さんが放課後や長期休暇に利用できる「放課後等デイサービス」を、ゆずりは保育園に併設する予定です。(受給者証をお持ちの小学1年生~6年生対象)
開設までもうしばらくお待ち下さいね。
各施設にご興味のある方は、こちらまでお気軽にご連絡ください。