あなたは「広告カメラマン」をご存知ですか?
テレビのCMを撮影する人・・?
折込チラシに掲載されている衣料品や野菜を撮影する人・・?
はっきりと説明できる人は、少ないのではないでしょうか、、、
そもそも「カメラマン」という言葉は定義が広く、風景、人物、食べ物、お花・・・
すべてにおいて、写真や動画を撮影する人のことをカメラマンといいます。
その中でも広告カメラマンとは、ホームページやチラシに掲載する写真や動画を撮影するカメラマンのことで、お客様から依頼を受け、お客様のサービスや商品の価値を写真や動画を通して届ける人のことをいいます。
コマーシャルフォト サン・スタジオ所属 鍋坂樹伸さん、46歳(2022.7現在)。
鍋坂さんは広告カメラマンとして約19年活動されてきた中で、さまざまな被写体を撮影してこられました。
その中で鍋坂さんが大切にされていることは、人の魅力やモノの価値、被写体の内面に目を向けることです。
被写体が人物であれ、野菜であれ、その人やモノがもつ魅力を最大限に引き出し、見る人に深い印象を与えられるような写真を撮影することを意識してシャッターを切られています。
それゆえ、鍋坂さんの撮影する写真には、被写体の魅力や言葉では言い表せない空気感が漂っており、なおかつ広告写真なのでお客様の収益や売上につながる作品が多数存在するのです。
その技術と信念に魅了されるお客様は全国に広がり、現在は四国の香川県から、全国津々浦々で活動されています。
ここでは、どのようなカメラマンが良いとか悪いとかいう話はしていません。
鍋坂樹伸というカメラマンが、どのような人生を送ってこられたのか、なぜこれほどカメラマンがいる中、地方のカメラマンが脚光を浴びているのか・・・
鍋坂さんの魅力や存在を深掘りしていますので、ぜひご覧くださいね。
ちなみに樹伸と書いて「きしん」とも読めますよね。かの有名な篠山紀信さんを意識してご両親が名付けられたのかと思いきや、偶然の産物なんですって!
カメラマンとしてとても名誉あるお名前ですが、鍋坂さんは「恐れ多いです!」とおっしゃっていました(^^)
名前 | 鍋坂樹伸(なべさかしげのぶ) |
---|---|
生年月日 | 1975.9.6 |
職業 | コマーシャルフォト サン・スタジオ 所属カメラマン/株式会社サン・サン取締役 |
趣味 | 水泳 |
好きな食べ物 | 何でもよく食べます!(ただし、蕎麦アレルギー) |
SNS |
体が弱かった少年の視覚センス
昭和50年、鍋坂家の長男としてお生まれになった鍋坂さん。
生まれた時の体重が1450gだったことから、重症患者が集まる明石のこども病院で約半年間過ごされました。
当時のお住まいは兵庫県姫路市。
病院があった明石市まで、片道約1時間の道のりを、お母様は付き添いに通ってくれたそうです。
といっても当時の記憶があるわけではありませんが、小さい頃は体が弱く、お母様に抱かれて夜間病院へ連れていってもらった記憶がかすかにあるといいます。
また、ぜんそくで発作を起こすことが多かったため、4才からスイミングを始めることになりました。
水の中で感じる浮遊感、開放感はとても心地よく、泳ぐことが大好きだったんですって!
幼少期の記憶の中に、屋内プールの天井に光が反射するのがキレイだったこと、水をかく自分の手にあらわれる泡が踊っているようで好きだったこと、そしてそれらの映像を撮影してだれかに見せてあげたいと感じていたことを教えてくれました。(これはプールあるある?子どもの頃から視覚センスにたけている・・・)
ただ、”撮影してだれかに見せてあげたい”という思いは、少なからずお父様の影響があったからではないでしょうか。
実は鍋坂さんのお父様も、広告写真を撮影するカメラマンでした。
鍋坂さんが2才の時、香川県高松市にスタジオを開業されたのです。
当時、カメラマンという職業は今ほど多くなく、スタイリッシュで粋な仕事をしているお父様を、”かっこいいなぁ”と思いながら見ていたといいます。
そんなお父様に憧れていたのは、鍋坂さんだけでなく弟さんも同じでした。
現在はご兄弟で、家業に所属するカメラマンとして働かれているのです。(お父様は引退されています)
とはいえ、当時お弟子さんを数人抱え、絶え間なく仕事の依頼がくる売れっ子だったお父様。
お母様も家業を手伝っていたことから、お二人ともとても忙しく過ごされていたそうです。
なので家族で旅行へ行った記憶は1~2度しかなく、カメラマンだからといって自分たちの写真を撮ってくれたわけでもないそうです、、、
幼少期の鍋坂さんは、憧れの気持ちと寂しさを同時に抱えながら、ご両親の背中をみていました。
競泳に全力を注いだ学生時代
体力作りのために始めたスイミングでしたが、小学2年生の頃には選手コースに切り替え、競泳選手として本格的に泳ぐようになりました。
ですが、試合前になると気管支炎の発作が起こることもしばしば・・・
体調が万全ではない状態で、試合に出ることもよくあったそうです。
そのような中、いいタイムを出せなかった時には、ご両親から活躍するチームメイトと比べられる言葉をかけられたといいます。
今となれば、子に期待する親の気持ちはわかるそうですが、当時はそれがとてもツラかったんですって、、
鍋坂さんにとって、ご両親が大会を見に来てくれることは嬉しかった反面、ツラく苦い思い出でもあるのです。
ですが何事にも一生懸命な鍋坂さんは、小学6年生になると四国大会で入賞するほど、体力的にも実力的にも高められていました。
中学ではさらにハードな練習が始まり、学校以外の時間はプールで過ごす日々。
家に帰ると、ごはんを食べて寝るだけの生活。
友だちには「塩素クサイ!」と言われることもあるくらい、水泳漬けの日々だったといいます。
その努力は功を奏し、中学では東京で行われたジュニアオリンピックに二度出場!
高校でもインターハイに二度出場!
中・高・大とキャプテンとしてチームを率いて、全国の舞台に参戦する選手へと成長を遂げられたのでした。
学生時代、競泳以外に興味があったことはありますか?とお伺いしても、「競泳以外ありません」という一途な鍋坂さん。
当時は科学的根拠のあるトレーニングなどなかったため、ただひたすら泳いで体力を強化し、スピードアップを目指されました。
競泳とは0.01秒を競うスポーツです。
自分との戦い、タイムとの戦いに、ただただひたむきに向き合って生きてこられたのでした。
規格外の楽しさに出会った2つの経験
大学生になった鍋坂さん。
そこで出会った大学水泳部の先輩の一言が、これまでの人生観を大きく揺るがすきっかけとなったのです。
「おまえはこれまでプールの区切られたレーンの中で生きてきた。サッカーやラグビーのように人同士がぶつかることのない競泳は、コースに守られている。これからの人生、それではおもしろくないぞ!」
これまでの経験を語り合う中で、鍋坂さんに必要なピースを理解してくれたのでしょう。
そこで太陽の下、山間部や林道を力強く走ることで自由や興奮を感じられる「マウンテンバイク」を薦めてくれたのです。
そして初めて先輩とツーリングへ行った日、鍋坂さんはこれまで感じたことのない体験をすることになりました。
走行中、先輩とクラッシュして転倒したのです!
先輩は無事で「大丈夫か!?」と声をかけてくれていましたが、鍋坂さんは脳しんとうを起こし、意識がもうろうとしていました。
しかしそのような状態のなか、転倒したとき体に伝わってくる振動、衝撃、痛み・・・を感じながら、同時に、”楽しい・・・自分、生きてる・・・”っという感覚を味わったんですって!
これまで水の中の浮遊感に魅了されていた鍋坂さんでしたが、体に感じる衝撃や重力、自分の生命力を肌で感じ、これまでとは違う楽しさを発見されたのです。
それからすっかりマウンテンバイクの魅力にハマった鍋坂さんは、マイバイクを購入し、バイクとともに大学時代を過ごされました。
北海道から九州まで単独で日本縦断した時には、毎日が楽しく、何ともいえない充実感と達成感を味わったといいます。
そしてもう一つ、鍋坂さんの世界観に影響を与えてくれた出来事が、タイで学校を建てるというキャンプへ参加したことでした。
約10日間いろいろな立場の仲間と過ごし、現地の人とも交流を深める中で、自分の存在意義を考えたり、タイの人々の価値観に気付かされたり、学びの多い時間を過ごしたといいます。
タイは日本に比べると決して豊かとはいえませんが、悲壮感というものをまったく感じず、人々の目がキラキラと輝いていたんですって!
逆に日本は経済的に恵まれているはずなのに、日々の生活から疲れを感じ、無気力な人がたくさんいる、、
タイと日本には、幸せの価値観に違いが存在すると感じたそうです。
ぼくにとって、この2つの経験はとても意味のあるものでした。
これまで競泳という狭い世界で生きてきたぼくに、もっと広い世界があることを教えてくれました。
また、ぼくはこの時初めて写真を撮ったんです。そこで現実を切り取る楽しさ、五感で感じるものを収めたいという願望、これらをこの時はじめて感じました。
っとここで初めて写真の話が出てきましたが、意外や意外!
鍋坂さん、大学生まで写真を撮ることはまったくなかったそうです。
なぜ、このタイミングで撮ろうと思ったんですか?
実はぼくが20歳の時、父がカメラをプレゼントしてくれました。
使い方も構図もろくに教えてもらっていないのに、撮影者がすべて調整しなければいけないフルマニュアルのフィルムカメラを・・・。
それを使ってみたかった気持ちもあったのかな?貰って3か月後に行った日本縦断で、全国各地の写真を撮りました。
そして家に帰ったら、父が嬉しそうにフィルムを現像し、プリントするんですよ~。
だけど出来上がった写真を見て、「こんな下手な写真撮りやがって・・・」とため息をつかれて、、すごくショックだったのを覚えています(笑)
そうだったんですね(^^;)
マニュアルカメラって、いわばプロが使うカメラですよね?
お父様お手が厳しい・・・(笑)
ですがここから数年後、鍋坂さんはお父様とまったく同じ、「広告写真を撮影するカメラマン」の道を選ぶこととなっていくのです。
対面する仕事のなかに「好き」を見つける
大学卒業後、両親の勧めで東京の印刷会社に就職した鍋坂さん。
この時は、”カメラマン以外の仕事をして、東京で一旗揚げたい!”と夢を描いていたといいます。
ですが4年が経った頃から、どこか東京での生活に疑問を感じていました。
とくにご両親から言われたわけではありませんが、”私は香川の実家へ帰った方がよいのでは”という(長男としての)意識が芽生えていたのです。
ぼくがカメラマンになったきっかけは、正直「責任感」からでした。
ですが、世の中にはそのような状況に直面する場面もあると思います。
そのような時、対面する仕事の中で「やっていることを好きになる努力」も大切だとぼくは感じています。
やっていくうちに魅力に気づいたり、ぼくのように飽きずに長く続けられることもありますからね(^^)
※現在、鍋坂さんは専門学校穴吹カレッジグループ高松で講師をされています。
進路や将来に悩む学生さんには、「最初はそれでもいいから、興味を持つことや好きになる努力も大事だよ」とお伝えしているんですって。
そして27歳、ご実家であるコマーシャルフォト サン・スタジオに入社し、お父様に弟子入りされました。
お父様、またお母様に指導してもらうこともありながら下積み生活を積み重ね、次第に鍋坂さんに依頼してくれるお客様も増えていったといいます。
その中で、ご自身が信念とする部分、揺るがない想いを見出されていったのでした。
広告写真に必要なのは、撮影した写真が見た人に深い印象を与えること、被写体の魅力を最大限に引き出すことです。
たとえば被写体が人の場合、ぼくが大切にしているのは、モデルの顔立ちの美しさではありません。
その人がこれまで育んできた造形が編み出す表情、醸し出す雰囲気、言葉では伝えられない空気感を、ポーズや衣装との相乗効果で表現できるカメラマンを目指しています。
ぼくは撮影のたび、相棒であるカメラに”きちんと残してくれよ!”と心の中で語りかけ、被写体には“安心して心を開いてくださいね”と念を送りながらシャッターを押しています。
あくまでもお客様の期待に応えることがぼくの役割であり、ぼくは与えられた被写体の魅力を切り取っているだけです。
このようにおっしゃっていました。
鍋坂さんがいうには、被写体のチャームポイントを見つけることで、本人が想像している以上に美しく撮れるんですって!
みんな自分の顔をきちんと見ていないだけで、それぞれ素晴らしい魅力があります。
それをカメラに残し、お客様のお役に立てることができれば、これほど嬉しいことはないといいます。
実際、鍋坂さんは揺るがない信念を貫いた結果、そのお人柄や写真に心惹かれる人が徐々に増え、香川という地方から全国で活動されるカメラマンになられているのです。
最初はぼくも、”都会はすごい、東京はすごい”と勝手に思い込んでいました。
ですが実際に経験してみると、やっていることは変わらないという事実に気が付いたんです。
それに気付くまで場数は必要でしたが、地方に住んでいても、自分をしっかり持っていれば都会のみなさんの期待に応えられると思っています。
一つ自分を褒めるとするなら、周りの皆さんが導いてくれることを素直に信じて、能動的に動いてきたことですね。
鍋坂さんはこれまで、カメラマンにとって冥利に尽きるであろうNIKON Webサイトの写真も任された経験をお持ちです。
ですが鍋坂さんは終始おごることなく、「ぼくの今があるのは、ご縁をいただいた人たちのおかげです。」と何度も何度もおっしゃっていました。
人とのご縁が今の自分を作り出す
実は鍋坂さん、タイのキャンプを共にした女性に、「赤ちゃんの頃、周りには保育器で亡くなる子がいた中、あなたが生き残れたことには意味があるのよ」と言われたそうです。
その言葉の意味をずっと模索し続け、「自分はご縁をいただいた人たちの役に立ちたい」と感じられるようになりました。
そしてカメラマンの道へ進み、お客様が喜んでくれる顔を見ているうちに、”自分が人の役に立てる方法はカメラだ”と、確信をもてるようになったといいます。
鍋坂さんにとって、カメラは自分を表現できる方法であり、自分への自信を獲得した手段でもあるのです。
お客様とはせっかく出会うことができたのだから、一緒に幸せな時間を過ごしたいですね。
撮影はその時で終わりますが、出会えたご縁をいつまでも大切にしたいと思っています。
またその想いはお客様だけではありません。
共に企画・プロデュースしてくれる仲間、カメラマンとして手を貸してくれる先輩や後輩、周りに信頼できる大切な人たちがいるから今もがんばれているんだとおっしゃっていました。
仲間とのご縁に感謝し、お客様の期待に応えられるような作品を、これからもみんなで生み出していきたいといいます。
これが鍋坂樹伸というカメラマンであり、現在の活動が鍋坂さんの考える「生きる意味」なのではないでしょうか。
今回、鍋坂さんに取材をさせていただいた日の2か月前、約5年弱の期間闘病されていたお母様がお亡くなりになられました。
それまで医師との対応をしたり、県外に御祈願に行かれたり、亡くなる直前まで諦めることなく、ご自身にできることを精一杯されたそうです。
ですが、鍋坂さんの息子さんの高校入学説明会があった日。
無事出席したことをLINEで報告して既読になった後、安心したように息を引き取られました。
鍋坂さん、闘病中のお母様から「ありがとう。でもムリしないでね。」と伝えられたそうです。
これまで何事にも全力で生きてきた鍋坂さんの頑張りを、お母様は一番理解されていました。
そしてお父様も、面と向かっては言いませんが、周囲の人に「子どもたちはよくやってくれた」と話されていたそうです。
鍋坂さんにとって、お母様とのお別れがお辛いことだということは重々承知しておりますが、ここでご両親から認めてもらえた感覚は、一生忘れることのない喜びだったのではないでしょうか。
これからも鍋坂さんの周りに良縁が結ばれ、益々ご活躍されることをお祈りしています。
ホームページやチラシに掲載する写真の撮影について、もっと詳しく知りたい方は、こちらのWebサイトをご覧くださいね。
書籍紹介
Web制作と運営のための写真撮影&ディレクション教本
コラボ企画紹介
本当に欲しいカメラバッグ~OTO~
カメラマンにとって、カメラやレンズを収納するバッグは、命を包み込むように大切な存在です。
そんなカメラマンの想いをバッグ屋さんが叶えたいと手を取り合い、開発されたのが「OTO」(バッグの名称)。
シンプルなデザインの中にも機能性に満ちた収納力は、カメラマンの願いを満たすバッグとなっています。
最後に
取材の後、鍋坂さんの想いをご自身の言葉で綴ってくださいました。
人生を旅に例えられることがあると思います。 人生という旅には人との出会いがあり、私は出会った人に大きく影響を受けてきました。 うれしいことに、日々前向きに生きていると、辺見さんご夫婦のように素敵な人と出会います。 人は人に磨かれると言う言葉を聞いたことがありますが、まさにそう感じています。 出会えたみなさんは私にとって宝物です。 もちろんこれは父や弟、妻、息子も同じであり、家族の存在が今の私を創り出してくれています。寿命を迎えこの世からいなくなる日を『旅のゴール』とするならば、 自分の人生を一生懸命生きた。 大したことはできなかったけど、出会えたみなさんとご一緒できて幸せだった。 と思えるように残りの人生を送りたいと思っています。
コマーシャルフォト サン・スタジオ~鍋坂樹伸~
「最後まで読んでいただきありがとうございました。 」
鍋坂樹伸
鍋坂さん、の現在までの人生を読まして頂いて、とても感動しました。いつも素敵な、写真を見させて頂いて、心が癒されていました。こんなに心が癒されるのか?少し分かった思いです。鍋坂さんの人に対しての優しい思い感謝の気持ち又素敵なご家族。これからも益々素晴らしい写真を見たいです。心から応援しています。ありがとうございました。
串田さん
嬉しいコメントをいただきありがとうございます。
いつもお世話になりっぱなしですみません。
微力ながらお役に立てられるよう頑張ります。
今後とも変わらぬご指導をいただけましたら幸いです。
思えば鍋坂先生に繋いで頂いたご縁から私の社会人生活がスタートしたことを、記事を読み進める中で感じました。今の自分を形作っている要素の多くが、あの場所が出発点だったからこそと思えるものが多くあります。本当に有難うございました。これからも応援しております!!
なかうさくん
コメントありがとうございます。
私は何もしていませんよ。笑
あなたが自分の手足を使い懸命に前進しているだけです。
ご活躍を拝見し元気をいただいています。
クリエイティブが必要な時はお声がけください。
いつか一緒に何かできるといいですね。
またご飯でもいきましょう!
いつも公私ともにお世話になりまして、誠にありがとうございます。
暖かで とても前向きな鍋坂先生のお人柄に助けられまして、私もこの世知辛い現代の生きづらい日々を切り抜けております。
今後とも各方面でセクスィキャメラマンとしての本分を発揮なさいまして更なる御隆盛を心から祈念申し上げます。
古川さん
いつもお気遣いいただきありがとうございます。
助けられています。
コメントも嬉しいです。
これからも変わらぬご指導ご鞭撻いただけたら幸いです。
よろしくお願い申し上げます。
ナベは私の学生時代の水泳仲間で今でも親友です。
私は今まで彼の大学時代というページでしか知りませんでした。
しかし、この記事を読み彼の人間としての懐の深さを知ることが出来ました。
マウンテンバイクでクラッシュした時に隣で走っていたのは私です。
コーナーでアウトから抜く私に対抗して曲がり切れずにクラッシュ
私は回避出来ましたがナベは転倒
怪我は無かったのですが、転倒の恐怖で手が震えてました。
「痛いか?痛みを感じるのは生きてる証拠だ、大丈夫だよ」
的な声がけをしたのを覚えてます。
バイト先も一緒で仲良くもあり、喧嘩もしましたがいつも場を和ませる術を持ってホンワカさせるナベが大好きです!
素晴らしい記事、そして大切な親友を取り上げてくださりありがとうございます。
おーしださん
ご丁寧にメッセージをいただき、誠にありがとうございます。
おーしださんがマウンテンバイクを並走されていた先輩なのですね!
鍋坂さんからお話を聴いている中で、マウンテンバイクは鍋坂さんの人生において大変貴重なご経験だったと感じました。
そして、今回私たちも鍋坂さんの人生に触れることができたこと、とても嬉しく思っています。
この度は大変光栄なお言葉をいただき、本当にありがとうございました。
おーしだ先輩
なんだか嬉しくなるメッセージをありがとうございます。
先輩は大学の体育会部活動のルールからしたら本当はダメなんだろうけど、浪人して1学年後輩の私の実力を認めてくれて、公私ともに対等にお付き合いいただきました。
そういえばフィットネスクラブのアルバイトも私が紹介して一緒にしましたね。
先輩がトライアスロンでツアーを回ったり(年間で3位だったっけ?)、インカレに出場して入賞したり、卒業後シドニーオリンピックを目指しトレーニングをしている姿はめちゃくちゃ格好よかったです。
40歳を過ぎて私が泳ぎを再開したのは、自分がまず元気になれば少しでも人様のお役に立てるかなと思ったからです。
25年前のようにはならないけど、これからも元気な自分を目指しトレーニングしていきます。
これからもよろしくお願いします。
昨日、海で2km泳いで体がえらいことになっているナベでした。笑
※ちなみに日本縦断自転車の旅で使用した、自転車用の靴・ヘルメット・グローブはおーしだ先輩からいただいたものです。ありがとう!
鍋坂さんには、
いつも誠実に話を聞いてくださって、要望以上の撮影をしていただき感謝しています。
コミュニケーションを大切にしてくださるので、安心してお任せできます。
いつも無理なお願いばかりですが、それを楽しんで引き受けてくださるのもありがたい!
これからも、どうぞよろしくお願いします!
よしおかさん
いつも心あたたまるお付き合いをいただき、感謝しています。
よしおかさんのご相談は、空間にいつもなんだか穏やかな風が吹いていて時間の流れ方が違うんですよ。
お人柄なんでしょうね。
『コミュニケーションを大切にして』と書いていただきましたが、私自身が自然体で被写体に向き合えるよう事前にご配慮いただき、本番では実力以上の力を引き出してくれるような気がします。
微力ではありますが、これからも同じ歩幅で歩かせていただけたらと思います。
よろしくお願いします。
拝読しました!
私は鍋坂くんの同級生です。
この文章を読んで改めて素晴らしい人だなぁと感じました!
鍋坂くんの人柄と姿勢が伝わってきて同級生として誇らしく思います。
今春、天国に旅立って行かれたお母様もとてもステキな女性で、高校生の頃から今現在も私の憧れで目指す女性です。
きっとお母様もこの文章を嬉しそうに読んでいると思います。
鍋坂くんへお母様のお言葉をお借りして…
がんばりすぎないでね!
これからも応援しています‼︎
なおさん
コメントありがとうございます。
これまで数々の母へのご配慮感謝しています。
いま母は、なおさんへも『頑張りすぎないでね!』言っています。(という気がします。笑)
お互いまだまだこれからです、頑張りましょうね。
これからもよろしくです。
鍋坂さんにはいつも大変お世話になっております!有り難くお仕事をご一緒させていただく機会もあり、緊張を解いてその人の素敵な表情を引き出してくれます。鍋坂さんのお人柄、安心感のあるコミニュケーションがあってこそですね。いつも感謝しております!
今回は鍋坂さんのこれまでの人生やご経験に触れさせて頂き嬉しく思います。これからもクリエイティブで楽しいお仕事に沢山ご一緒させてください!♪
hkさん
いつもご一緒させていただきありがとうございます。
本来撮影の現場は緊張感に溢れますが、hkさんの穏やかな性格からか、いつも私の力を引き出してくれています。
『自転車』というキーワードでもシンクロしていて笑っちゃいますね。
いろんなシーンで笑顔の輪を作っていきたいですね。
これからもよろしくお願いします。
鍋が若い。
先日旅立たれたお母様が更に若い。
知らない鍋がいくつもいて不思議な感覚。
鍋の特徴をよく捉えてる文章にも感心。
共有してくれてありがとう。
仕事でもプライベートでも都内に来る際にはまた声掛けて!
Mさん
鍋が若いって、赤ちゃんの時からの話だからね。笑
Mさんとの思い出で笑えるのは、私の結婚式に香川まで来てくれて、妻に『鍋は超いい奴だから!』と何度も何度も言ってくれたこと。結婚式の日だからね!(あなたより俺の方が鍋のことを知ってるんだからね!って感じでした♪)
東京でのMさんの結婚式では人生初のスピーチを任されました。『式場の人(まで)が感動してたよ!』ってコメントも嬉しかった。
Mさん美食家だから、これまでも美味しいご飯をご馳走になったりといろいろありがとうございます。
また飯行きましょうね〜!
鍋坂さんはスタイリッシュで都会的で、初めてお会いした時にはとても緊張しましたが、そのお人柄を知るに連れ、色々なお話をさせて頂くようになり、随分とお喋りに付き合わせてしまって申し訳ありませんでした。
鍋坂さんご本人だけでなく、ご実家の皆様とも関わらせて頂きましたが、お互いを深く思いあっているご様子がひしひしと感じられ、なんと素晴らしいご家族だろうと羨ましく思っていました。
お母様の事は大変残念でしたが、前を向いて進まれているお姿に、そして今回の記事に、大変感銘を受けました。
これからも、鍋坂さんのそのキラキラとした瞳に映ったものを捉えたお写真や映像を、たくさん拝見できたらと思います。
ますますのご活躍をお祈り申し上げます。
KMさん
長期間にわたり母のことでいろいろとご指導、お手伝いいただきありがとうございました。
業務もそうですが、KMさんとお話しさせていただくことで肩の力が少し緩む気がました。
(こちらこそ足止めをしてすみませんでした。)
> お互いを深く思いあって、なんと素晴らしいご家族だろうと羨ましく
不安に押しつぶされそうな私たち家族を適切な方向へ導いていただけたからこそ、
一見まともな家族と映ったのかもしれませんね。笑
ご期待に応えられるかどうかわかりませんが、真面目に撮影を続けていきます。
今後ともよろしくお願いします。