人々の相続を円満解決へと導くプロフェッショナル

「相続」
よく聞く言葉ではありますが、どこか他人事であり、自分にはまだまだ関係ないと感じる人は多いのではないでしょうか?

かくいう私も、今回お話を聴くまでそうでした。

ですが、「相続の対処は、親族が亡くなってからでは遅いんです。いつだれにでも起こることです。」
そう語るのは、「徳島相続相談プラザ」の設立者である尾崎大さん、42歳(2022.5現在)。

尾崎さんは、お父様とお祖父様の相続問題に大変なご苦労をされた張本人。
当時、ファイナルシャルプランナー(以下FP)ではなかった尾崎さんは、相続について無知の状態でした。
そのうえ、親族で相続について話し合ったことはなかったため、故人とのお別れもままならないまま、相続税を支払うための資金調達や不動産の売却など、話し合いと手続きに追われる日々を過ごすことになったのです。

納付期限は10か月後!
迫りくる期限に怯え、親族だれもが身体的にも精神的にも追い込まれていたといいます。
そんな中、どうにかしようと立ち上がった尾崎さんは、必死に勉強をして親族の意向をまとめ、無事、解決へと導かれたのです。

この経験から、”自分みたいに相続で苦しむ人を増やしたくない”とさらに勉学に励み、1級FP技能士・宅地建物取引士という国家資格などを取得。
2012年徳島相続相談プラザを設立してからは、相続につながるあらゆることでお困りの人の相談を請け負ったり、啓蒙活動を行ったり、相続問題のアドバイザーとして幅広く活動されてきました。

今では、徳島相続相談プラザの運営協力者は、

  • 税理士法人徳島
  • 弁護士法人リーガルアクシス
  • 司法書士法人ひとざい
  • 北條伊織行政書士事務所

これほどにまで増えているそうです。

そして現在は税理士法人徳島に所属しながら、奥様と「価値基準.ヒト株式会社」を設立され、こちらの運営も行われています。

今回は尾崎さんの生い立ちのほか、いつ、だれにでも起こりうる相続問題を、少しでも自分事として捉えるきっかけになればいいなと思っています。
実家や田畑の後継者問題、親の介護、お墓の管理など、心当たりのある方はぜひご覧くださいね。

※徳島相続相談プラザは、2016年税理士法人徳島に編入し、国家資格者が手を取り合い、相続問題を多方面から一箇所で解決できる場となっています。

名前 尾崎大(おざきだい)
生年月日 1979.10.25
職業 税理士法人徳島マネージャー/価値基準.ヒト株式会社代表取締役
趣味 バスケットボール
好きな食べ物 ぶどう饅頭
SNS

何不自由なく過ごした子ども時代

徳島県小松島市ご出身の尾崎さんは、4人兄弟の末っ子としてお生まれになりました。
お父様がゴルフ場を経営されていたことと時代背景も重なり、お金には困らないご家庭でお育ちになられたそうです。

お父様はバブルを生きる、まさに絵に描いたような経営者!

仕事や飲み会で家にいることはあまりなかったといいます。
ですが、家族との時間を大切にしてくれたため、”寂しい”という感情を抱いたことはないそうです。

尾崎家のエピソードとして、幼い頃はお祖父様を筆頭に、約20~30人の親戚でバスを貸し切り、スキーなどの旅行へ行くのが恒例だったといいます。(親戚多いっ!)

この頃の尾崎さんはとくに何も考えておらず、お父様に対しては、従業員に指揮を取る姿を”これが父親の仕事なんだ~”と当たり前のように見ていたとおっしゃっていました。

いっぽうお母様は、お父様に対しては内助の功を努め、子どもたちに対しては個人の自由を尊重してくれたといいます。

幼い頃の尾崎さんは、勉強よりもスポーツが好きで、よく野球やドッジボールをしていました。
ですが、「勉強しなさい」と言われたことは一度もないんですって!

だからなのか、反抗期というものを経験したことはなく、幼少期から今でもずっと、ご両親のことが大好きだとおっしゃっていました。(大好きと言い切れる尾崎さんステキすぎる!)

金銭的にも精神的にも満たされて育った尾崎さん。
子ども時代を振り返り、次のようにおっしゃっていました。

尾崎大

子どものころ、何を考えて過ごしていたのか・・・自分でもあまり覚えていません。
大好きなスポーツはずっとしていましたが、勉強は全然してこなかったし、大学も近場で入れるところを選びました。
だけど、何不自由ない環境が良かったのか悪かったのかというと・・・

大学ではバスケ、バンド、合コンと、楽しい時間を謳歌されました。

ですが、ご自身が育った環境を手放しで喜べない背景には、その後に起こる相続問題でのご苦労や気づきがあったからなのでしょう。

人生そんなに甘くない

尾崎さんには、「(サービス関連の)会社の社長になる!」という夢がありました。
幼い頃からお父様の姿をみて育った尾崎さんには、社長になることがいわば常識であり、それ以外の道は思い浮かばなかったといいます。

サービス業=ホテルマンという思考から、大学卒業後は、東京でホテルマンとして約2年間勤務されました。
ホテルのフロント業は、レストラン・ブライダルとの連携や、ホテルを訪れる国内外のお客様への対応など多くのスキルを必要とされますが、やりがいと充実感を味わいながら楽しく働いたといいます。

そしてその後、徳島に帰郷して、「ニコニコキッチン」という高齢者向け配食サービスのフランチャイズオーナーになることを決められました。
ですが、この時ばかりはご両親も反対し、簡単には許してもらえなかったんだとか!

そんな時、手を差し伸べてくれたのが、ゴルフ場を事業継承されたお兄様。
父から子が事業継承をして、”自分のやりたいことができない”という悩みを少なからず抱えていたお兄様は、「(自分が好きなことをできない分)弟には好きなことをさせてあげたい」と、ご両親を説得してくれたそうです。

おかげで、無事起業された尾崎さん。
しかし、現実はそう甘くはありませんでした。

右も左もわからない中での経営、一緒にはじめた仲間が1か月も経たない間に辞職・・・
1人で調理と配達をこなす中、最初は料理を焦がしてしまうこともあったんだとか!

私の中では戦略的イメージの強い尾崎さんですが、当時は経営について知識がない中でのスタートであったため、お正月以外の362日1人で働き続けたそうです。

そのような状況下、食料原価高騰でお弁当の価格を上げざるを得ないという厳しい現実、、、
ここで初めて考えた戦略が、新規ルートを開拓するというものでした。
尾崎さんは新規顧客を獲得するために必要な資金を、深夜のバイト(ホテルのフロント業)を掛け持ちしながら稼いだといいます。

それから5年という年月が流れ、徐々に社員は増えていき、経営面でも余裕を見出すことができるようになっていきましたが、実はその間、私生活では大変な出来事が起こっていたのです。

突如訪れた相続問題

ある日、一本の電話が鳴りました。
その電話は、お父様が支配人室から出てこないというもの・・・。

急いでゴルフ場へ駆けつけたときには、お父様はすでに亡くなられていたのです。
約5年間、パーキンソン病を患われていたお父様は、”これ以上家族に迷惑はかけられない”と自ら命を絶たれました。

あまりにも急な出来事に、尾崎さんは驚き、傷み、苦しみました。

尾崎さんにとって、かけがえのない存在であるお父様。
いつも近くでお父様をみてきたからこそ、”社長になる”という夢を抱きました。
そしてそれは同時に、”お父さんのようになりたい”という憧れや尊敬の気持ちもあったのではないでしょうか。

そんな尾崎さんの悲しみはとても深く、、、この人の存在がなければ乗り越えられなかったといいます。

尾崎大

ぼくがあの時乗り越えられたのは、間違いなく彼女(のちの奥様)がいたからです。
24時間Skypeをつなげ、仕事から帰ってくると、彼女が寝ている姿をみるという生活を送っていました。
離れてはいたけれど、悲しくて寂しい夜を一緒に過ごしてくれる彼女がいたから乗り越えられました。

その後、お祖父様も相当なショックを受けていたのか、3か月後という短い間にお亡くなりになられたそうです。

大切なご家族を亡くし、悲しみを癒やすのに時間が必要なのは無理もありません。
ですが、相続税の期限だけは、余儀なく迫ってくるのです。

相続問題を解決へと導く

尾崎さんの場合、お父様がゴルフ場を経営され、お祖父様が不動産を多く所有していたこともあり、多額の相続税を支払う義務がありました。

支払額なんと○億円超えっっ!!! ( *1)
しかも期限は10か月!!!

*1 ゴルフ場や不動産など現金化できない資産が多数あったため

conasu

いーや、いやいや!どう考えても無理でしょ!?完全に漫画の世界の話ですよねぇぇ~~!??

一般人の私は驚きを隠せませんでしたが、当時、1つ630円のお弁当を売っていた尾崎さんにとっても、これは青天の霹靂でした。

しかも相続税は、原則現金一括払い!
この期限を守らないと、延滞金などが加算され、ますます増えていく・・・。

お父様からの相続はお母様とご兄弟との話し合いですが、お祖父様からお父様が受け取るはずだった相続にいたっては、相続人10名という大規模な相続だったのです。

当時29歳で最年少の尾崎さんは、何世代も年上の伯父様や叔母様に混ざり、夜な夜な続く話し合いに参加されました。
ですがそんな大金、どうやっても現金一括で揃えることなんてできない・・・
だれもが頭を抱え、迫りくる期限に恐怖と不安を感じながら過ごしたといいます。

いくら親族とはいえ、年齢や生活状況、知識はまったく異なります。
そのような中、だれかが自分の意見を押し進めようとすれば、だまされているような感覚になる人がでてくる・・・。

話し合いは長期化し、ついには体調を崩し、代理人として弁護士を立てる親族もでてきました。

困り果てる親族をみた尾崎さんは、「それならぼくがこの相続をまとめる!ぼくはおじいちゃんの主要な不動産の相続はいらないから、中立の立場で解決策を見出します!」と宣言し、専門家を訪れたり、勉学に励んだり、親族を集めて説明会を開いたり、、、できる限りの力を振り絞られたといいます。

そして期限内に無事、相続税を納めるところまで行き着いたのです!
(割愛しましたが、持っていても売れない土地や建物をどうするのか、逆に評価の高い土地はだれのものなのかなど、財産と人数が多い分大変だったそうです)

途中段階での秘話ですが、実は最初に相続税を換算してくれたのは顧問税理士の先生だったんですって。
ですがどうしても現金を用意することができないことから、相続税に強い税理士の先生に相談したところ、なんと3分の1も支払額が下がったそうですっ!!(どんな世界・・・)

すなわち、税理士の先生にもご専門とされている分野があるため、相続は相続を専門とする先生に相談することが大切だということを、身に沁みて感じたといいます。

尾崎大

この時ばかりは、親族みんながよくやったと褒めてくれました。
相続を片付けないと妻との結婚もできなかったので、必死に勉強したことを覚えています。
ただFPになって10年になりますが、我が家の相続が一番難しく大変でした(笑)

尾崎さんが、相続について無知の状態から解決に至るまでに感じたことは、「相続の手続きに関する全体マップが欲しい!」ということでした。
そもそも土地、山、建物などの所有物を、税理士、司法書士、弁護士、不動産、解体業者・・・どの専門家に相談をすればいいのかもわからなかったといいます。

  • 何をどうすればいいのか、全体像がみえないこと
  • 相続の知識がない人が多い中、先導してくれる人がいないこと

相続の専門家がいないことこそが問題点だと気づいた尾崎さんは、ニコニコキッチンを売却し、相続での困りごとに総合的に寄り添える場として、2012年「徳島相続相談プラザ」を設立されました。

相続はお金持ちだけの話ではありません!

ここまでの話を聞いて、”私には関係ない、相続なんてお金持ちだけの話でしょ?”と感じていませんか?

実際、相続税を納めるケースは8%と数少ないそうです。
ですが、「揉め事」が起こる確率は、財産が少ないご家庭ほど高いんですって!

イメージするなら、ホールのケーキを3人で分けるのと、ショートケーキを3人で分けるのでは、「どちらが心穏やかに分け合えますか?」ということだそうです。

conasu

なるほど!相続なんて自分には関係ないと思っていましたが、「揉め事」として、いつ、だれにでも起こりうる話なんですね!

まずは、「世の中で起きること」を知っておくことが大事だという尾崎さん。

尾崎大

あなたの両親がいつ病気を患うかは、だれにもわかりません。1年後かもしれないし、明日かもしれない。
もし病気から介護が必要になった場合、兄弟間でだれが介護をしますか?介護をした人の財産分与が多いのは当たり前ですか?
もし、親が亡くなった場合、実家はだれが相続しますか?田畑や山を所有していた場合は?

今は「相続AKB」といって、A=空き家・K=介護・B=墓地が問題視されていて、どれもだれも欲しがらないんですって、、、(だから地方の空き家はどんどん増え、所有者不明の土地は九州より多いんだとか!)
尾崎さんも売れない不動産に悩まされ、お父様やお祖父様が生前、余裕を持って査定をしてくれていたら・・・と何度も感じたといいます。

conasu

でも、親に身辺整理(終活)をして欲しいとは言いにくいですよね?
私たち子世代が、今できることは何ですか?

尾崎大

たしかにその通りで、身辺整理は本人がその気にならないと進みません。
だから、「相続」についての啓蒙活動を数多く行ってきました。
でもぼく一人では限界があるので、保険会社さんや葬儀屋さんなどに研修を行い、相続に特化したFP育成にも力を入れてきました。
みなさんにできることは、兄弟間で話し合っておくこともそうですが、まずは「相続について知ること」です。
そして、現実を受け入れる、あるものに目を向けることが大切だと思います。幼少期を過ごした実家、土地、親の存在に感謝する気持ちをもつことが、相続(揉め事)をこじらせない肝の部分でしょう。

とはいえ、相続とは非合理的であり、正解のない事柄だと続けます。

尾崎大

相続は、心情を大切にする部分と、節税しなければいけないというシビアな側面を持ち合わせています。たとえば、
・実家は幼い頃の思い出が残っているから手放したくない
・実家は節税のため売り払った方がいい
などのように、兄弟間でも生活状況や思考は異なるので、意見が違って当然です。
そこからどう最善策を見出すかが焦点になりますが、相続は権利を主張しすぎると、争いを起こします。
現実は一筋縄にはいきませんが、みんなが自分を育ててくれた環境に感謝し、家族仲良く円満に相続問題を乗り越えられることが理想です。

と、おっしゃっていました。

土地や建物、財産の有無によって悩みは変わりますが、まずは相続(揉め事)問題を自分事して捉える必要性を感じました。
そして、自分が親に対してできること、自分が子どもに対してできること・・・
自分が取るべき行動を今から考えておき、美徳な対応ができる自分でありたいと思いました。

心とお金のゆたかさを

その後、啓蒙活動に努められた尾崎さんは、テレビトクシマの「らぶ!らぶ!徳島」という地域情報番組の中で、「教えてマネー大先生」というコーナーを持ち、4年間レギュラー出演もされていました。

そして現在は、徳島相続相談プラザが編入した「税理士法人徳島」全体を統括するマネージャーとして指揮を取りながら、さらなるステップアップを目指されているのです。

それが価値基準.ヒト株式会社の運営であり、「人を育てる」ことにフォーカスしたコンサルティング(メンタリング)事業を奥様と一緒に行われています。

conasu

幼い頃は勉強がお好きではなかったとおっしゃっていましたが、1級FP技能士や宅地建物取引士の資格など、勉強したら取れるものなんですか?今はなぜ、そこまで頑張れるのですか?

尾崎大

正直、働きながら勉強をして資格試験を受けているので大変です。だけど、自分のやりたいことなのですごく楽しいですよ!
その時の状況に応じて、しなければいけない課題がみえてくるので、それに向かっている感じですかね!

尾崎さんの言葉に、「相続は譲った人が幸せになるんよ」という言葉がありました。

実はお父様からの相続も、ご実家やご先祖様を引き継いでくれているお兄様や、お母様の面倒をみてくれているお兄様の相続分を多くすることを薦められたそうです。
「その代わりぼくは、自由を与えてもらっているので兄たちには感謝しています」とおっしゃっていました。

権利を主張するのではなく、現実に目を向け、家族を思いやりながら相続問題を解決することを体現している尾崎さん。
お父様の死からFPというお仕事に出会えたこと、目標やヤル気を持ち続けられていること、すべての事柄はつながっているのかもしれませんね。

目にみえないものに気づける心のゆたかさと、金銭面でのゆとりを生み出せる人材を育成する

これこそが相続の争いをなくす根幹であり、今後、尾崎さんが目指す人材育成の課題です。
広い意味で人の幸せを願う尾崎さんの活動を、これからも応援しています!


税理士法人徳島(徳島相続相談プラザ)

Memo

初回相談は無料で行ってくれます。書類作成や実行支援が必要な場合のみ、案内のもと費用が発生するそうです。何かお悩みのある方は、相続のプロであり、お客様に寄り添った対応をしてくださる徳島相続相談プラザに相談するのも一つの方法です。


価値基準.ヒト株式会社

Memo

経営者の人材育成や経営計画を充実させるため、精神面でも経営面でも寄り添ったサポート支援を行ってくださいます。ご興味のある方はこちらからお問い合わせください。